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59  西山古墳

 川田の天王原を中心に、南は奥原から北は大峯あたりまでの山上や丘陵地に、古代人の墳墓である古墳が点在していた。ほとんどがすでに盗掘され、その原形をとどめていないので、それが古墳であるかどうかさえ疑わしいものもある。
 しかし、その識別の決め手となるのは、墳墓の石棺の材料である緑泥片岩の有無である。本県は緑泥片岩の産地なので、本県の古墳のほとんどがこの石材で作られている。
 古墳が多く作られたのは、3世紀から7世紀にかけてである。
古墳は位置・封土・内部構造・副葬品の4要素で前中後の3期に区分できる。前期(3~4世紀)は封土は円・方・前方後円で丘陵の突端・台地に位置し、内部は竪穴式石室で木棺・粘土棺・船形石棺が多く副葬品は鏡・刀・剣・勾玉・管玉が多い。
 中期(5世紀)は前方後円墳が壮大で前方部が張り出しており平地に位置する。副葬品に馬具を始め武具類の発達がみられる。後期(6~7世紀)は円墳・方墳が多く、群集墳も多い。平地・台地・丘陵いず
れにも位置し、内部は横穴式石室で家形石棺や副葬品には須恵器・環頭刀・金製耳飾などと工芸的なものが多くなる。
 天王原の古墳からは、須恵器やサヌカイト(石器の原材料になる硬質で黒色の石)が発見された。このことから考えて、おそらく後期のものであったと思われる。天王原には2つあったらしいが、今は原形はみられず、古墳に使われていた青石が神社の東北にあり、腰をおろす休み場として使われている。これは、その大きさから考えて蓋石と思われる。
 塚穴の古墳は、パイロット工事のため跡形もなく、古墳に使われていたと思う青石が四散している。あとの2つは、祠を建ててあり、古墳の石がそれに使われている。
 西山の古墳は再調査の必要があるが、昭和45年パイロット事業中須恵器が発掘され、研究の先ゆきを明るくしている。

西山古墳