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43  庚申塔

 庚申塔は一般に「おこうしんさん」といわれるもので,町内の道路端に,写真のような石塔が見かけられる。現在ではお祭りをしているところは非常に少なく,山崎の中須賀の庚申さんの外に2,3か所があるだけである。庚申の日に部落内で輪番でだんごをお供えして,お祭りを行なっている。昔は,他の庚申さんも,こんなお祭りをしていたようである。
 庚申信仰の起源は,中国の道教とされている。十干十二支(えと)の庚申の日にあたる日の禁忌行事を中心とする信仰である。人間の体内には3匹の虫がひそんでおり,庚申の夜人が眠っている間に,抜け出して天帝のもとにのぼって,その人の罪やあやまちを告げて命を取らせる。だから,その夜は眠らずに身を慎んで過ごさねばならないとし,そのための禁忌を道教では守庚申といった。わが国に伝わって日本独特の変わりかたをし,徹夜と慎みの行事は残ったが,三尸虫(さんしちゅう)の伝承はみられず,行事にともなう会食談笑のほうに重点が移っていった。

 道教の守庚申はわが国にはいって庚申待という信仰対象を祭り,礼拝する形のものとななって交歓の機会ともなったのである。
「庚申さま」の本体もさまざまで、青面金剛菩薩とするのが一般的であるが、阿弥陀仏、観世音菩薩、大日如来、地蔵菩薩、不動明王、帝釈天、猿田彦、道祖神などの神仏から「申」の見立て生類であるサルにまで及ぶ。これらの神仏は、みな現世利益をもたらすものとされ、道教の天帝とは全然ちがった福の神の性格をもっている。
 町内の庚申塔は宝暦年間(1751~1763)に多その数は川田28,山瀬18,川田山7,合計53である。
大半は荒れたままにしてあるが、私達の祖先の人々が心のよりどころとして信仰し礼拝してきた遺物である。これらは,大切に保存したいものである。