<目次>

37  神代お宝踊り  川東136番地

 川田八幡神社は,阿波の国忌部の守護神として信仰されてきたが,神代お宝踊りは,その神前で,豊年には豊年踊りとして,日照りには雨乞踊りとして行なわれてきた。
 豊年踊りとしての記録は見当たらないが,東西両川田村相調子差上帳(1815)には,雨乞踊りについてくわしく記されている。それによると 「この踊りは,古来京都で行なわれていたのを,数百年前に川田の者が行って伝授されたものであり,もともとは神いさめの踊りであった」とある。
 雨乞いは,まず神官・僧侶が八幡神社の堂にこもって祈とうをつづけ,7日目の頗結びに「立ぞろい」といって,村民は花笠,扇笠,鉢巻き,たすきがけの思い思いの姿で,かね,たいこ,ほら貝を鳴らして踊った。それから,高越山頂に登り,経塚で踊りに踊ったものである。

差上帳には,その様を「はら貝,たいこ,かね,その他行列の道具残らず持ち出して,振り申し侯。吹立て,押立て,扇をかざし,空をあはぎ立てあほぎ立て雨を乞ひ申し候」(原文のまま)と述べている。

 踊りの音頭(歌詞)は,「皆一様にお並びありて,いと鷹揚にひとおどり」という入端の唄で始まり,第一雪掻から第七汐汲までがつづけられる。こうして雨が降ると,吉野川の京石の上で,お礼踊りとして,第八番お宝踊りが行なわれたのである。

 明治の頃に一時衰えていたこの踊りも,大正初めに原田武一郎が再興し、現在は川東名保存会(会長 藤森実)が米倉寅夫を経て、その保存維持に努めている。
 毎年10月22日,川田八幡神社祭礼には烏帽子をかぶった10余名の少年少女が,小だいこを打ちながら,はやし方の音頭・拍子木に合わせて踊る姿が見られる。
この神代お宝踊りは、昭和53年2月3日、貴重な伝統的行事として「県指定無形文化財」に指定され保存されている。