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29  松月翁の碑  井上214番地(明王院)

 高越山麓にある真言宗刀寺,明王院境内の鐘楼の東側に,苔むした青石の一基の墓碑がある。表面に「松月翁」と記してあり,裏面に歌が輪形に書きつけてある。これが松月翁心阿の歌碑である。歌碑をかねた墓碑で,川田へ来遊した心阿を記念して,文化2年(1805)8月10日に鹿児島政明らが建てたものである。この時に,政明は松月翁の自画像を明王院に奉納している。この碑の歌は「行路の雪」と題し,それを中央に刻み,歌はその周囲に,円形に刻まれている。風雨にさらされまた苔のために歌は読みにくい。歌は次のように同音を二字重ねて作ったもので,全部ひらがなで書かれている。

「ぬるるままそ そののへへつつここははや やままたたにに ふふききええぬ」

 これを普通に書きなおしてみると

 濡るるままぞ その野辺経つつここははや
              山また谷に 吹雪消ええぬ

 読解するのも苦労であるが,松月翁の苦労も大変であっただろう。この形式をとった歌碑が奥川田の智秀庵にもある。
 ここで,鹿児島政明と松月翁心阿を紹介しよう。政明は奥川田の人で,自分の住家を竹光庵と名づけて住み,「神風日記」「真直枝折菜」「川田邑名跡志」等を残して有名である。文化4年(1807)10月8日に63歳で没した。
 この人を歌の師佐竹松月堂志阿が天明8年(1788)に訪れてきてともに高越山に登った。心阿は周防岩国(山口県)の人で,もと武家であったが,事情があって諸国を遊歴し徳島へ来て僧となった人である。
 「木綿麻日記」は,彼が徳島を出発し,川田の鹿児島政明を訪れ、ともに高越登山し,徳島に帰り着くまでを記した歌日記である。
この日記は,当時の様子を知る貴重な史料の一つである。
「松月翁の碑」は平成9年11月で山川町指定有形文化財(現在吉野川市)に指定された。

松月翁の碑