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15  瀬詰八幡神社  八幡192番地

 瀬詰地区の中央,県道沿いに誉田別尊,姫大神を祭る瀬詰八幡神社がある。本殿は流造であるが,破損が甚しいため,昭和45年から46年にかけて氏子から寄附金を集めて,修理した。
 当社は,もと青木に祭られていたが,安政4年(1857)に現在地に遷座されたものである。吉野川改修以前は,たびたび水害に見舞われたので,本殿は高い地盤の上に建てられている。
 境内に大国主命・事代主命を祭る恵美須神社があり,昭和6年4月3日再興の記念碑がある。また,昭和8年11月に建設した瑞垣,燈籠の記念碑があり,道路に面して大正10年(1921)新年の勅題「社頭の暁」に奉詠し入選した松田清市の歌碑がある。
 昭和45年には一山水会瀬詰クラブの老人会が中心となって,りっばな社務所(瀬話中央集会所)が完成した。境内にムクの大木が数本あり,昔瀬詰小学校が瀬詰八幡神社の北隣りにあった時は,こどもたちにとり適当な遊び場であった。                    
 また,鳥居の近くに,千度と刻まれた石が建っているが,これは家に大病人が出た時,家族,親類,隣人が集まって,この石と社殿の間を千度往復して,病気の平癒祈願をしたものである。他の神社では,百度石があるところもある。
 瀬詰地区の祭礼統合で当社の例祭日は10月19日に統一された。例祭日には御輿の渡御の外,各部落の屋台がたくさん出て,大変にぎやかだったが,現在では,屋台は1台残す御輿の渡御も自動車に乗せて行なっている。当社の渡御には,珍しいならわしがあった。若宮部落の古組という屋台が,御輿の先供をするのである。この古組は庄屋安部豊三郎発起のもとに嘉永五年(1852)につくられたもので,善入島の宮の島八幡神社の祭礼に参加していたが瀬詰八幡神社が建立されてから,こちらに移ったものである。

瀬詰八幡神社

瀬詰恵美須神社